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人生朝露

人生朝露

荘子、古今東西。

現在は、ビートルズと荘子なわけです。世界初のコンセプトアルバムにして、ビートルズの最高傑作としても名高い「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ・クラブ・バンド」のコンセプトと、荘子の「音楽の境地」に関しては、すでに書きました。

参照:当ブログ 荘子と進化論 その30。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200911300000/

同 荘子と進化論 その32。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/diary/200912030000/

で、
Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band(1967)
「サージェント・ペパーズ・・」・・というか、ビートルズと中国の思想との繋がりは、B面のしょっぱな、ジョージ・ハリソンの"Within you, Without you"にはっきりと見られます。

参照:YouTube Within you, Without you
http://www.youtube.com/watch?v=GrxRAvnU1FQ

この曲、シタールもタブラも使っているからインドの思想?と思われているかもしれませんが、この歌詞は、老荘からです。ジョンやポールだと、かなり気を遣ってバレにくいつくりにするものなんですが、、、ジョージだと老荘を使っているのがバレバレ(泣)。実際、この曲の歌詞は当時のイギリスの評論家にも「老子の剽窃だ」という批判はありましたが、荘子までつっこんだ人はいなかったようです。

“Try to realize it's all within yourself
No-one else can make you change
And to see you're really only very small
And life flows on within you and without you”

(全てが己が自身の内にあり、何者も変える事ができないことを知覚せよ。己のうちにある小さなものを見たとき、生命は滾々とあふれ出る。己が内にも、己が外にも。)

岡倉天心。
>『おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。』(岡倉天心著「茶の本」より)

参照:当ブログ ハイデガーと荘子 その4。
http://plaza.rakuten.co.jp/poetarin/5023

“When you've seen beyond yourself then you may find
Peace of mind is waiting there
And the time will come when you see we're all one
And life flows on within and without you”

(己が自身を超越したとき、心に安らぎが訪れる。そして、全ては一つだと気付いたとき、生命は滾々とあふれ出る。己が内にも、己が外にも。)

Zhuangzi
「天地與我並生、而萬物與我為一」(『荘子』斉物論第二)
→天地は私と共に生きている。そして、万物も私と同じ「ひとつのもの」なのだ。

例えば、ですが、
ブラック・バード・シンギング。
最近出たポール・マッカトニーの詩集「ブラック・バード・シンギング」にもあります。

She is...

She is...
the Yin to my Yang
the I to my Ching
the See to my Saw
the Head to my Tails
the Lily of my Valley

彼女が。。。
陰なら僕は陽
彼女が易なら僕は経
彼女がSeeなら僕はSaw
彼女が頭なら僕は尻尾
僕の谷間の白い百合

「陰陽(Yin-Yang)」「易経(I-Ching)」とありますよね。ポールも知っています。

例えば、ですよ。
Mind Games (1973)。
ジョン・レノンの「マインド・ゲームス」に収録されている「Aisumasen (I'm Sorry)」(意味はモロ日本語の「あいすみません」。)の歌詞にも、

“When I'm down, really yin
And I don't know what I'm doing”
(僕が落ち込んで、本当に「陰(yin)」になってしまったとき、僕は何をしているのか全く分からなくなってしまうんだ。)

参照:John Lennon - "Aisumasen (I'm Sorry)"
http://www.youtube.com/watch?v=hqyQ9fZHulg

これも、あえて「陰(yin)」と表現しているように、日本語のようで中国語ですよね。ジョン・レノンは「GOD」でも“I don't believe in I-ching”(僕は「易経」を信じない)と言っています。彼らが「易経」も「老荘」も読んでいるのは明白なんです。

・・・おそらく、かつての日本人であれば、ビートルズの歌詞の根底にある思想を「老荘思想」だと喝破し得たでしょう。しかし、ある時期から日本人には近くにあるようでいて遠い思想になってしまったんです。

一つの指標は吉川幸次郎さんの随筆にあります。

『維新以来、漸次低まりつつあった儒学の教養が、遂に地を払ってむなしくなったのは、明治の末年、大正の初年のことである。文学者でその教養をもった人物は、漱石、鴎外まで、軍人では山縣、乃木まで。政治家では西園寺公望、原敬までであって、その後は段がついて落ちる。軍人にいたってはなおさらであって、荒木も東条も、口を開けば東洋精神をいったけれども、漢籍を読みもしなければ、読めもしなかったと思われる。またその東洋的な文化に対する無知、無理解は、その人たちの筆跡を見ればすぐに分かる。(中略)戦後刑死した戦争犯罪人の筆跡に至っては、もっともみにくい。その書いている内容も、自ら漢詩をつくる能力はなく、簡単な漢語めいたことを書いているが、それにすら文法的間違いが目立っていたりする。(中略)そうした軍人の筆跡の変遷によっても示されるように、儒学の教養は、大正の初年に至って、にわかに日本の社会から消え失せる。(中略)要するに目的のために手段を選ばないという行為が、右からも、左からも、国内に対しても、国外に対しても、起こる。言葉をかえていえば、節度の感覚、平衡の感覚が、喪失する。十九世紀の末までは、儒学が武士道と相伴った日本人の倫理的背骨であった、それが没落して以後、日本の悲劇は始まったという、亀井氏らの論旨に私は賛同してよろしい。』(以上 吉川幸次郎「日本の儒学」より引用)

・・吉川先生が指摘しているのは、儒なんですが、老荘も同じことが言えますね。ちょうど、100年くらい前まで。日露戦争以降の日本人の教養としての漢籍の知識の質が格段に落ちていることを感じます。「坂の上の雲」を目指して駆け抜けていた時代以降、急速に日本人の総体のスケールが小さくなっていっていますよね。結果はご承知の通り。逆に西洋では老荘は注目されていきます。ちょうど100年前に分かれ道があって、今や西洋人に「懐かしい教え」を感じているわけですよ。

それよりももっと前だったら、荘子好きの日本人ってたくさんいたんですよ。

この人も、荘子を読んでいました。

坂本竜馬。
『その間、竜馬は、自分の亀山社中の下関支店にしている阿弥陀寺の大町人伊藤助大夫方を旅宿としていた。
 竜馬はこの支店の名を、
 「自然堂」
とつけた。この男は、釈迦も孔子も尊敬しなかったが、ただふたり、ふるい哲学者のなかでは老子と荘子を尊敬していた。なにごとも自然なるがよし、という老荘の思想にあやかって自然堂とつけた。
(中略)岡三橋は、感心したような解せぬような顔をして、何度も首を振っていた。いわゆる勤王奔走の志士が、老荘思想という虚無思想をもっているということが、ふしぎでならなかったのだろう。』(司馬遼太郎『竜馬がゆく』巻6 秘密同盟より)

彼の発想や言葉も、言われてみれば荘子なんですよ。

この人も、荘子が好きなんです。
西郷隆盛。

彭祖、何ぞ希わん 犬馬の年
塵類に牽かれず 閑権を握る
新生祝賀 人と異なる
静かに誦す 南華の第一篇

(彭祖のように長生きができても、犬馬のように縛られた年月を経たくはない
塵や芥のような世事に流されず、長閑に時を過ごしたい
新年を祝うめでたい日にすら、世間の人とは違ってしまったのだな
静かに荘子の第一篇を読み、天地を逍遥するのだ)

晩年の西郷の言葉には、荘子からの引用が多いんです。
この漢詩は明治八年の正月の作のようですね。

Zhuangzi
面白いもので、私の好きな人たちは、みんな荘子を読んでいるんです。

というわけで、来年も荘子で。

本年はこの辺で。


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